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ten ton take

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カーステレオから

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 最悪だ。あんなやつに抱きついて、「だいすき」だとかを口走っていた自分に腹が立つ。
 ここ数時間、返信も着信もこない携帯電話をベットに投げつけた。
 デートの行き先はいつだってわたしが決めた。気取っているつもりはなかったけど、年下のあいつをリードしてあげよう、と思っていた。でも、それが建前で、本当は『大人の女』を見せ付けてやりたかったから、ということも自分では分かっていた。

 初めてあいつから「行こう」と連れて行ってくれた、どこかのスカイラインの夜景は今でも思い出せる。
 それでも、あんまりだ。ベットの上でだらしなく口を開いている携帯電話を見つめて、ため息を吐いた。


『ごめん、今日いけない』


 ベッドの上、携帯の液晶に映るメールが届いたのは、待ち合わせ時間の5時間後だ。それ以来、なんの連絡もない。
 五時間の待ちぼうけでわたしが得たものは、ヤケ買いのコートだけだ。
 部屋の貧弱な明かりの下で見る秋物のコートには、普段わたしが絶対に買わない様な金額の書かれたタグが揺れている。
 いまはもう、約束をすっぽかされた怒りも過ぎ、『なにかあったのだろうか』という心配すらも通り越して、どうしようもない寂しさと、振りかぶった拳の行き先を探しあぐねているような泣きたい気持ちでいっぱいだった。

 ただ、そのメールが来たあとすぐに、
「五時間後ってなんだ! おまえのところとこっちには時差があんのかっ!」というメールを送信したことを、少し後悔していた。



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 同僚で後輩のユミが、ずっと独り身のわたしに気を使って開いてくれた合コンで、あいつと知り合った。
「んふふ、頑張って年下を集めてみました」
 笑うユミに、感謝と、ほんの少しだけ苛立ちを覚えた。飢えたゾンビのように「年下、年下」というほど、わたしはまだミセスな年齢じゃないと思っていたからだ。
 ユミはそんなわたしの顔を見て、また笑った。
「自分の年齢を胸張って言えるなら、まだ大丈夫ですよ」
 わたしは無言でユミを叩いた。


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 仕事明けのカラオケボックス。
 テーブルを境界に男女がならんだ。お決まりの挨拶にお決まりの持ちネタの自己紹介を披露する男の子達の中で、一人だけ明らかに空気の違う人がいた。
「若さに溢れてます!」などとは口が裂けても言わなそうな、達観した表情で、ずっと自分のドリンクの下のコースターを見ている。どこか調子が悪いのかな、と思って声をかけようとしたとき、その人の横の男の子が笑った。
「おねーさんいいんです、コイツは。ちょっと暗いだけなんで」
 ひどーい、とユミの声。男の子達が笑っている横で、その人ははにかんだ様に笑った。
 なぜか分からないが、「この人だ」と思った。
 他の子たちが次々と流行の曲を唄う中、その人が唯一入力した曲の題名を見て、またその気持ちが強くなった。
 十年ほど前に上映された映画の主題歌だった。
 曲が始まると、だれもが首をかしげて、一呼吸のあと気を取り直すようにお喋りを再開した。
 わたしが高校生時代に、映画館で三回、ビデオで二回見た映画だった。
 わたしは、その人が唄っている間、その人の首筋に浮き出た血管をじっと眺めていた。



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 何度かデートを重ね、あいつが初めて乗せてくれた車。何も話すことがなくなった深夜。細い指が動いて、カーステレオから、あの曲が流れた。
「この映画、好きなんだ」
 知ってる、と言いたくて、言葉に詰まった。あいつがまっすぐにわたしを見ていた。
 代わりに出てきた言葉は、「ずるい」だった。
 街灯のない道路、月だけが明るく揺れる夜に、あいつと初めてキスをした。



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 薄く目を開いた。眩しい。苛立ちの象徴のようなコートが視界に入った。
 そのまま眠ってしまったようだ。ゆるゆると身体を起こすと、横に転がる携帯電話を手にとった。三時間ほど眠っていたらしい。その間に連絡がもしかしたら、という期待は裏切られた。
 着信、メール、なし。
 今日だけで一生分出した気がするため息をまた一つ吐いた。
 こんな簡単に終わってしまうものなのか。しょせん年の差か。いろんな思いが渦巻いて、なんだかもうどうでもいい気分にもなってきた。
 歯を磨こうと思って、ギシギシと鳴るベッドから立ち上がり居間をでた。

 玄関のドア、郵便受けに、封書が挟まっている。少し怯えながら、ポストから白い紙を抜き取った。ベッドに戻って、その切手も消印もない封書を開いた。

 中には便箋が一枚。初めて見る、あいつの筆跡で、
「ごめん。下にいます。あと時差はありません」とだけ書いてあった。


 あいつは直接ここに来て、ノックをすべきか携帯を鳴らすべきか悩んだのだろうか。それとも前もって手紙を書いていて、意を決して入れたのだろうか。ドアの向こうでうろうろするあいつの姿が目に浮かんで、なんだか可笑しくなった。

 窓を開け、二階にあるわたしの部屋から下の道路を覗き込む。
 あいつの車が、控えめなエンジンの振動をつたえてきた。
 なんだなんだ、かわいいところがあるじゃないか。
 この手紙を入れて、ずっと下で待っていたのか。距離を測りあぐねた末の結論が、あいつらしい。
 運転席側の窓から、あいつの煙草の煙が立ち上っている。あいつの匂いはわたしの部屋に届くまでに少し薄くなった。
 耳をすました。エンジン音のほかに、あの映画の曲が聴こえてきた。


 この曲が終わって、あの煙草の煙が見えなくなって、それからまた五分経ってもあいつがまだ下にいるのなら、そのときは、今日の遅刻の理由を問いただしにいこう。許すのはその後だ。
 ゆるやかに立ち上っては薄くなって消えていく煙。わたしは、はやく煙草を消さないのかな、と思った。
 カーステレオが、あの曲のサビを唄う。

by tentontake | 2010-09-10 01:09 | 短文