「生きる」ってコトは、
「動く」ってコトだろ?!
うしおととら 第一巻
『とら』(字伏、長飛丸)は日本中の妖怪が恐れた妖怪であった。
人間も、妖怪も、獣も、邪魔をする全てを屠ってきた。
その頃の『とら』にとって、生きるということは動くということだった。
動かなくすれば、それは死んだということ。
生きる上での意味や理由はどうでもよく、ただ『動く』だけ。
後半になって『とら』はこの考えを直すのだが、それでも大はずれではないな、と思う。
この世には本当の意味での対義なモノって、そう多くないはずだ。
『うしおととら』の次作、『からくりサーカス』で、主人公のマサルは言った。
「進化」の反対は「無変化」
定義的な意味であっているかどうかは置いといて、この考えはとてもいい考えだと思う。
進化を生きることと言い換えてもいい。
「生きていない」ということは「なにもしないこと」
明日だけじゃなく今日、なにをしているのか。
語るだけの夢にならないように、なにか行動を起こしているのか。
過ぎるだけの怠惰な毎日を送っていないか。
「死ぬ」ってことは「動かないこと」ではないけど、
「生きる」ってことは「動くこと」(もちろん、生物的な動きだけでなく
熱い三流なら上等。
明日って今さ。
漫画や小説には、かわりにあがいてくれる人がたくさんいる。
どんなに困難な状況でも、驚くような闘志を分けてくれる。
でも、それだけじゃいけないんだよね。
漫画や小説や映画や物語は、『教えて』くれるけど、
『動いて』はくれない。
なにか行動を起こすのなら、今だぜ。
というわけで打ってきましたスロット。
打たなきゃ勝てないものね!!!!!11
蒼天着席5G目にブチュン☆
黒い子で「ラッチー!」と思ったら
上乗せなく4連とか。
スイカチェリーが合算100分の1超えて、蒼天に願ってもダメなもんはダメ。
ギラ爺に移動で一発目のギラチャンでムームー神。
波が途切れず一撃5500枚おいしーれす。
通常時がアレだけど、ART中の乗せっぷりは異常。
完走4回とかもう人生でなさそうな感じ。
表示ARTが残り1000Gになったら、後ろにギャラリーが張り付いててワロタ。
みんな……っ! ご祝儀はずむぞ……っ!
ともいえずにチビチビコーヒー飲んでました。
今注目は、やっぱり蜘蛛男3。
個人的に五号機NO1は前作の蜘蛛2なので、期待はあるんだけど、
ARTというのがどうにも。
119.99%はいいんだけど、それが通常営業で入るかっつったら入らないわけで。
地元に一台だけあった蜘蛛2が撤去され、RT黄金時代で残るのはリンかけと戦国だけになってしまった。
どうみても腐臭漂うボッタ店だけど、バラエティの楽しさにまた行きそうです。